人事について考える

人事に来て数年、採用やら育成やら評価やら、色々思ったことをつぶやきます。それ以外のコトもつぶやきます。

転職・就職バーという存在。

いろんなビジネスあるんですね。
普通に行ってみたいと思いました。

 


有名企業の採用裏話も… 学生400人超が集う「就職相談バー」 (SankeiBiz) - Yahoo!ニュース BUSINESS


なるほどなー。リクルートキャリアでの経験があれば、確かにこういったことやれるかもしれない。私も、クライアントの立場からリクルートの皆様にはいつもお世話になっているので、彼らの目から見ると、多くの採用担当者の声はわかるとは思う。そして、さらに本人も採用担当を一つの企業でやられているというのがとても強みだと思う。

コンサルする立場、実際にやる立場、双方を経験しているというのであれば、アドバイスにも説得力が増しているに違いない。

今度、行ってみたいな。どんな講義をしているのか聴いてみたいし、学生と対話をしてみたい。が、こんなおっさんの話は聞いてもらえないかも知れないかな。。。どうなんだろ。

と言うところ、実際のそのお店のサイトを見てみたところ、、、

 


とこなつ家(とこなつや)|転職バー、池袋・東池袋のダイニングDJカフェバー


転職相談もありなのか(笑 試しに行ってみたい。とりあえず、この人の本は買ってみようかな。普通に面白そう。

自分のキャリアは自分でつかむ

ちょっと前にこんな記事がありました。


ジョブローテーション?あぁ玉突き人事のことね。 | 日系パワハラ


うちの会社も少なからず玉突きなところはあります。昔からある日本の会社はだいたいこのシステムを持っているのではないでしょうか。では、なぜこんな玉突きが起きるのかとふと疑問に思ったところ、それに答えてくれているブログ記事がありました(もちろん正解とは限らないと思います)。


一度に人事異動をする理由‥‥異動の季節(2): 心の中にキャリアスケープ


最初の玉(恐らく偉い人)を動かす時は戦略的な異動になっているが、そのポストを埋めるためにどこかから引っぺがしてくる、を繰り返す。それにより、「なんで俺がここなの?」と言うことが起きる、と上記では言っています。私も、まさに、人事に来たときはそう思ってしまいましたが、確かに玉突きは一つの理由だと思います。

じゃあ、それだけが理由かというと、上記の記事よりももっと人事の人は考えています。玉突きではあるものの、誰でもやれるわけでは無い仕事ばかりなので、(やりたいかどうかは置いておいて)やれる適正がありそうな人、そして、そこで学びが多そうな人を、重要ポストには起きます。その連鎖が続く感じがします。

新入社員についても同様で、できそうな新入社員には結構大変な仕事を渡します。ちょっと修行して欲しい新入社員には、ちょっと簡単そうな仕事から、と言うことになります。このあたりは、上記の記事と同意な面もあって、つまらなくて適当な仕事を適当にやっていると、次の仕事も適当になります。結局、仕事のご褒美はもっとよい仕事となっていくのは、周りを見ていても常識のように感じます。頑張ってる人を見ていると、その人を応援したくなる人は必ずいます。そういうものだと思います。

 

自分のキャリアは自分でつかむ

ようやく本題になってきました。

このタイトル、玉突き人事じゃ自分の希望するキャリアなんてつかめないんじゃ?と思うかも知れません。が、上記の「頑張ってる人を応援したくなる」「仕事のご褒美はもっと良い仕事」につながってくるのですが、

  1. 今の仕事・部署が天職な人は、がむしゃらに頑張って、スキルを高めまくる。
  2. 今の仕事が自分の描いているキャリアとずれていても、キャリアの道筋の糧になりそうなことは必ずあります。腐らずやはりがむしゃらに頑張って、その仕事のスキルと、自分のキャリアの糧になることを頑張る。もし、この道に意外と適性がありこの道で生きても良さそうなら、専門性をその道にシフトしても良い。もし、やはりずれているならば、仕事は仕事で頑張りつつ、プライベート等で自身のキャリアの柱になることのスキルを高め、資格や表彰や何か形として伝えられることを武器に社内でアピールすることが次につながると思います。

私の人生、2な事が圧倒的に多かったりします。このブログも、プライベートで頑張ってスキルを身につけるに通じることが目的で書いていたりします。

 

脱社畜系の人に言わせると、私もしっかり社畜で、そんなことやってないでさっさと辞めて自分のキャリアの道行けば?、そんな余計な暇しているなんて、暇人だね、と言われるかも知れません。玉突き人事系の会社にいると、キャリアをある程度会社にゆだねてしまっている点ははっきり言って否定できず、ここは私自身も悩みの種の一つでもありますが、凡人や家族を支えリスクを取れない人には上記のようにスキルを裏でじっくりと高めておく方法もアリだと私は考えています。スキルを身につけてから、本当に報われない場合に、会社と方向性が共有できずに別れるしかない場合に、初めて転職しても遅くは無いと思うのです。(と書いていて、こう書くほどには私は愛社精神があるんだな、とも思いました)

 

自分のキャリアの責任を会社のせいにしても仕方ありません。

それこそ、天命に任せるのだとしても、自分としての人事は尽くしておいて悔いは無いと思います。

変わらない人を変えるには

今回のきっかけは、以下の記事を読んで、、、

 


記者の眼 - 「できない人」にいくら教えても「できる人」にならないのか:ITpro


上記の話、育成を担当する身としては、非常に悩ましい話だったりします。

 

できる人は勝手にできるようになる。ただし、いつかはわからない。

システム開発に限らず、できる人は勝手にできるようになるし、できない人はいつまで経ってもできない。これはそれなりに正な気がする。

ただ、できる人が最初からできたか、と言うとそんなことは無くて、どこかでその人の「花が咲く」時が、ブレークスルーの瞬間があるように思います。

私の場合は、あまり希望していなかった最初の担当では、粘った結果、「何とかやれる」レベルまで持っていけたように思いますが、正直、花が咲いた状態ではなかったように思います。異動で希望していた仕事になったときに一気に「花が咲いた」ように思います。

ただ、それは、最初から希望してた仕事に就いてたらすぐに咲いたのか?と言うと、そんなこと無いと思っていて、最初の担当で粘った時に培ったスキルと人脈に、大学院のスキルを活かせる希望ポストとの相乗効果で一気に咲いたように思います。

 

働きアリの法則はやはり「ある」

 このできる人、普通の人、できない人はの割合は、よく言われる「働きアリの法則」に感覚的に近しいなあ、と良く感じています。


働きアリの法則 - ドラッカーに学ぶリーダーシップスキル
"この「働きアリの法則」というのは、100匹の働きアリを細かく観察すると、そのうちの2割が良く働き、6割が普通に働き、2割が全く働かない状態をになり、これが人間の実社会における集団においても当てはまることから、この20対60対20の状態を「働きアリの法則」と呼ぶそうです。"


この「20対60対20」はかなり納得感があります。

すでに咲き始めた20と、まだ咲いていない60、咲こうともしない(枯れている?)20に分かれるなあ、と。この場合、育成のターゲットは、まだ咲いていない60を少しでも早く咲いている状態側に持って行くか、なのですが、非常に難しいです。

ここに、最初のトリガーの記事が言っている

「こういう言い方をしたらいけないのかもしれないが、結局は生まれつきですよ。できる人に機会を与えれば、自分でできるようになる。できない人にいくら懇切丁寧に教えても、できる人にはならないね」

が重くのしかかってくるように思います。。。

人事部の育成やら、研修やらがやれることは本当に小さくて、自分の花は自分で咲かせるほかありません。が、枯れている人に水をあげても、いっこうに咲きません。まだ咲いていない人たちへ、なんの水をどのように与えるか、がカギになるかと思っています。

自分の熱量を与える

じゃあどうやるか、と言うと、自分の、「周りの巻き込み論」に近いところがあるのですが、どう彼らを巻き込むか、自分の熱量を相手に渡していくか、でしか無いと思っています。

熱血うぜー、と思われることもあるとは思っているのですが、彼らの目線に降りていって、彼らへの言葉で接していく以外に無いのかな、、、と。

それで、60の内、5でも10でも、花が咲いてくれると嬉しいなあ、と。

 

と言うぐらい、育成というのは非常に難しく、また、人事部からやれることは何も無く、適切なレベルの仕事と、適切なマインドが非常に重要だなあ、と思う次第であります。

今の大学生・高校生の皆さんはどのようなことを考えているのでしょうか

今の大学生の皆さんたちって、どのようなことを将来や、就職活動に対して不安に思ってるのでしょうか。また、そういった気持ちになるのっていつ頃からなんでしょうか。

私が、大学時代の頃は、そういったことを考え始めるのはやはり大学3年の秋頃になってから、でそれまではとにかく遊んで遊んで遊び尽くすような、そんな大学生活でした。

多少、テスト前は勉強頑張ったりもしましたが、将来、何になろう、どうしようなんてことは、これっぽっちも考えずに、3年になってどのゼミに入ろうかな、とか、興味ある授業を選んで取る、ぐらいのことしかしてきませんでした。大学院に入ったのも、その方が就職活動有利かな、とか、その頃が(今よりマシですが)氷河期だったのでそれを避ける、後は、当時の年下の彼女が大学に残ってよ!的なことを言ってきたのも小さくない理由の一つだったりします(大学院中に振られましたがw)。

と言うのが、およそ10年前の学部時代の話です。

が、はっきり自分でも思うのですが、これでは今やどこの企業もこのような人材を採用しないでしょう。私が、生まれ変わったのは大学院のおかげだったと今でも強く思っていて、ここで、学部の全てを取り返すぐらい勉強して(させられて)、血反吐を吐いてがんばったからだと思ってます(対した成果を出せなかったですが、、、)。

大学院に行く前後で明らかに思考の幅、ロジカルさ、周りがどう考えていて、自分がどう語るか、などがわかった気がしますし、就職活動するからには、何を語るべきかがわかったように思います。

 

と言うところで、話戻して、確かに大学院生の方たちと採用面談でお会いするときは、やはり確固たる意識を持っている人が多く、こちらが勉強になることが多いのですが、やはり学部の方だと、上記の私のような人が少なくありません。

 

私が言うな、と言う世界ではあるのですが、今の日本の状況を考えると、大学生の皆さんが、昔の私のような感じだと、かなりまずくて、何かお伝えできることがあれば、いくらでもしたい、ってのがこのブロウを書いている理由の一つだったりするのですが、かなり余計なお世話感もありーの、何か言って・伝えて変わるようなもんでもないのも重々承知している状況に於いて、では一体どんな不安や悩みを抱えているのかな、と言うことが気になったわけでございます。

 

ただ、昔のことを思い出してみると、1〜3年までは何も考えて無くて、3年生の後半になって慌てて考え始めて、まあ、とりあえず何とかなるべ、という気持ちで就職活動が始まり、、、と言う流れなのでしょうか。

もしかしたら、大学に入る高校生の皆さんたちにもっと何か伝えるべきなのかもしれないなあ、特に、文系・理系を決める(が決まる)高校1・2年生の人たちをターゲットにすると6年後ぐらいの採用市場が変わってくるのかも知れない、とか思いつつ、本当に野暮だなあ、時間かかるなあ、とか思ってしまう次第であります。

っても、高校時代に大学決めたのも、俺数学得意だし、ゲーム好きだから情報系かな、ぐらいのノリだったので、うーむ。。。と思ってしまう。ホント、運が良かったなあ。

 

と言うところで、高校生・大学生が興味ないんだとは思いますが、社会人・ビジネスの人たちと接点がなさ過ぎる、と言うことが問題なのかもしれません。いろんな大人を見て、あんな大人になりたい、と思ってもらえる事がすごく重要な気がします。

今だと誰にあこがれるんでしょうか?ソフトバンクの孫さんや、ユニクロ 柳井さん、DeNAGree、パズドラ、LINE、あたりの創業者の話とかにビットが立ってたり、話が響いたりするんでしょうか。

そもそも、彼らは、どういった情報源の情報を見るんでしょうか。

など、採用する側も学生の生態系を欲理解したい気持ちはとても強かったりします。

 

かなり、今回だらだら書きましたが、結論としては、こんな社会人とTwitterからでもかまわないので、絡んでみたい人、お気軽にお願いしますm(_ _)m

採用も育成もマーケティング活動である

人事の話をしていても、そもそもどんな仕事があるの?ってことになるかと思うので、今回は、どんな種類の仕事があるかについて。。。

 

人事部は見ている。 (日経プレミアシリーズ)

人事部は見ている。 (日経プレミアシリーズ)

 

上記の本から引用すると、主に以下の内容がある。

  1. 社員の異動や人事評価(考課)
  2. 給与や退職金、労働時間などの社内の労働条件
  3. 労働組合との交渉
  4. 将来に向けての人事制度を企画・立案
  5. 給与管理や勤務管理、システム対応などの総務
  6. 新卒採用や中途採用
  7. 社内研修全般
  8. (再就職の斡旋)

このあたりが あるのだという。

このとき、私が今までに経験したことがあるのは、

  • 社員の異動や人事評価
  • 新卒採用
  • 社内研修全般

の一部である。私の個人の特性を考えると、上記8点の中でも、そのうちこの3点で良かったなあ、と言うのが個人的な実感である。

 

採用と育成をマーケティング活動と考える

私は元々、サービス開発兼サービスマーケティングの人間である。

その立場から考えると、採用も育成もマーケティング活動なのだ。

ターゲットがあり、チャネルがあり、施策があり、どちらもそれをどのように行うか、なのだ。

採用であれば、欲しい学生の人材像を定め、そういった人材像はどういったメディアをよく見るのか、どこに情報を置くと彼らの目にとまるのか、目にとまったときに彼らが興味を引く企画・イベントは何か?と言う活動だ。

育成は、育って欲しい方向性(経営の方向性ともつながる)があり、社内メディアや研修タイミングを利用して、どう伝えると彼らの心に刺さるか、どんな企画にすれば心が動かされるか、と言うことを考える。

 

と言ったときに、人事の中でもこの仕事で本当に良かったなあ、と思う。

上記のように捉えられた瞬間に心も楽になったし、スキルを高める気になった。

後は、やるのみだ。社会をよくするために、良い人材を採用し、そしてさらに良くなるように育てる。

引き続き、頑張っていきたい。

就職活動時における英語の重要性

今日のエントリーのきっかけは以下の記事より


スコアが悪いと降格、減給も当たり前。TOEICの受験者数が急増する切実な理由 - 週刊プレイボーイのニュースサイト - 週プレNEWS


若干個人的なところであるが、グローバル化を目指していたとしても、TOEICの点が満点だ、と言う理由だけで採用すると言うことは決して無い。あくまで一要素に過ぎず、エンジニアであれば専門性だったり、バイタリティだったり、コミュニケーションだったり、地頭だったり、様々な要素で総合的に判断する。ただ、だいぶ重要な要素になってきているのは確かだ。

 

グローバル市場に進出したい企業は、入社前は出来なくとも、入社後には出来るように自己研鑽に対するプレッシャーをかなり課しているのではないかと思う。と言うのも、そういった企業では今は少なくても、少しずつ英語で仕事をする割合は増えていくだろうし、そういうときにそういった仕事を割り振られるのはひからびたおっさんたちではなく、出来なくてもがんばれるであろう若手に割り当てられるだろう。そのときに、少しでもスタートダッシュできるように、英語力の向上・グローバルまたはダイバーシティを理解したコミュニケーションスキルの向上というのは、どんなときでも磨いておくべき今後の重要なスキルのように思う。

 

私もすでに30後半にさしかかってきているが、入社時は400点だった私にグローバルな仕事が襲いかかってきたのが、まさに人事に来たとき。ヒーヒー言いながらやっと600点。でも、もちろんまだまだ満足に使えるレベルでは無い。ただ、ライフステージが上がっていくと言い訳が増える。子どもが産まれた、仕事が忙しい、家を買うので勉強に頭が回らない、などなど。それでもどうにか時間を捻出して、様々なスキルを高めていかなければ、この厳しい時代に生き残ることは出来ないと思っている。

 

そういったライフステージが上がっていく前に、学生・新入社員の内に、先日も書いたが、「自己成長のエンジン」を搭載すべく、英語でも、それ以外の専門性でも良いので高めておく。高める習慣を身につける努力をすることが、最終的に自身の満足のいく就職活動につながるように思います。

 

コミュニケーション力は慣れの問題

今日、気になったのはこんな記事。


「コミュ力」って何だろう? 取り違える就活学生が急増 (産経新聞) - Yahoo!ニュース


確かに、コミュ力は大事だ。採用面接をしていても、コミュ力があるか、無いか、というのは非常に大事なポイントになる。

面接をする立場からすると、

  • ロジカルに話をしているか?
  • いろいろな人と何かをする経験をしてうまくいったことがあるか?
  • 人と関係が気まずくなった経験があるか?それをどう乗り越えたか?

あたりで確認するが、さてさて、そもそもコミュ力って確かに何だろう?

上記の記事でも、色々定義されているが、今読んでいる本を紹介したい。

わかりあえないことから

友人が読んでいるのを知って読み始めたので、この著者のことは詳しくないが、舞台等で表現をされる方で、グローバルでの活躍もされているとのこと。

この本の冒頭にて、現在の学生のコミュニケーションに関する分析が以下のようなポイントで語られる。

  • わかり合う・察し合うと言う「温室のようなコミュニケーション」で、家庭・学校で育てられてきている。そのため、「わかりあえない」という経験をしたことがない。
  • そのため、「伝えたい」という欲求がわいてこない。
  • コミュニケーション能力が低下しているわけではない。機会が無い。
  • なので、「伝えたい」欲求を膨らませるためには、「わかりあえない」経験をする必要がある。
  • そのため、実は慣れの問題だったりする。

上記のポイント、非常に納得が行った。私自身も、高校時代からバイトを始めていたり、大学が帰国子女だらけだったりで、かなりの異文化世界に放り込まれてアップアップの世界だったり、教授と全く折りが合わず苦しんだりしていた経験が、はたまた、社会人最初のトレーナーが超絶に短気で簡潔にシンプルに伝える訓練をさせてくれたのが今に生きているように思う。

 

上記のようなことを訓練するためには、上記の記事の締めの結論とも似通ってくるが、やはり知らない人とのコミュニケーションの訓練をすることなんだろう。

学生の少人数の輪の中だけで閉じこまらずに、広い世界に出てみてはいかがでしょうか。

この本の著者も所詮、自転車に乗れるかどうかのツールに過ぎないと言っており、実際にそうだと思う。慣れの問題だ。